自叙伝~父
私の父は 昭和8年生まれで 男・女・女・男の4人兄妹の末っ子です
父は 次男だというのにちょっとした事情から父が跡を継ぐことになったらしいのです
私が知っている限りの 〝ちょっとした事情〟とは
長男(伯父さん)は小児麻痺なのか理由は分らないのですが
私が見た事のある伯父さんは 足が多少不自由で
両方の足が 膝のところで外側に曲がっていました
それでも 杖を必要とするわけでもなく多少は不自由そうでしたが
一人でちゃんと歩いていて 他にはどこも異常はなかったみたいですが
何しろ祖父母がまだまだ元気だった昔のことです
本家の跡取りが〝カタワ〟では両親(祖父母)はみっともないと言ったとかで
そんな訳で伯父さんは 本来跡継ぎとしての相応の財産を貰って家を出て
別の土地に家を建てて 商売を始めて暮らしていたようでした
私が遊びに行った事がある伯父の家は 確か二子玉川で
私と同じ年と一つ違いの男の子が二人いました
父方の二人の伯母のうち一人は蒲田に もう一人は
たぶん 父が相続する時に分けてもらったのでしょう
私が住んでいた家から数軒後ろの方に 家を建ててもらって住んでいました
蒲田に住む伯母は 三番目(父のすぐ上の姉)でしたので
父とは一番仲が良かったみたいで 私の両親が離婚してから
どれくらい伯母の所に居たのか 私は覚えて無いのですが
父が再婚するまでの一時の間 その伯母に預けられていました
ただ もし両親が離婚届を出す前から別居していたとしても
私のすぐ下の弟は4つ違いなので たぶん私が叔母の所に居たのは
長くても一年か ホンの数ヶ月だったのだと思います
これはずいぶん後から聞いた話ですが
父が慌てて再婚しようと思ったのは 父が時々お土産を持って
私に会いに来ると 私は従兄妹たちと同じ様に「おじさ~ん」といって
お土産を持って会いに来る父に駆け寄ったそうです
両親が離婚したのは 私が三歳になる一ヶ月前でしたし
もしそれ以前から 伯母に預けられていたとしたら
まだ小さい私ですから 父から離れて伯母の所に住んでいれば
父のことを忘れてか 従兄妹たちと同じ様に父のことを
「おじさん」と呼んでも仕方なかったかも知れません
でも 父にとってはその事が余程ショックだったらしく
早く再婚して私を引き取り 一緒に暮らしたいとそう思ったそうです
さらに父が慌てて再婚せざるを得なかった理由は
私が生まれた時 父は23でしたから 離婚した年でも
まだまだ充分若いですし何しろ跡取りです
それでも 私という連れ子が居る訳ですから両親(祖父母)にしたら
その後 ずっと独り者という訳にはいかなかったでしょうしね
父が 早く私を引き取りたいと思った気持は嬉しいですが
それよりも両親(祖父母)がうるさく言ったのかも知れません
ところが 私がどれだけ父から可愛がられたかというと
残念ながら私には さほどその記憶はないのです
私の中にわずかに残っている記憶といえば 小さい頃から近所の子が
持ってないような大そうなおもちゃを持っていた・・・そんな程度です
父には 親から引き継いだ財産があったでしょうし
家の敷地には 父がやっていた大きな印刷工場がありましたし
子供に買ってあげるおもちゃなど たいした金額ではなかったでしょう
お祭りの時などは 使い切れないほどのおこずかいをくれたり
胸のところの糸を引っ張ると おしゃべりする人形を買ってくれたり
女の子だというのに 欲しいといえばローラースケートを買ってくれたり・・・
とにかく 物には不自由しなかったけれど
でも 私はそれほど嬉しくもなかった・・・
父には申し訳無いけど そんな記憶しか有りません
ただ いまでも覚えている父との唯一楽しかったと思える想い出は
幾つぐらいのころだったのか 自分では良く覚えて無いのですが
その頃 私が大好きだったぺこちゃんの目がくるくる動く
大きな箱のミルキーを買ってくれて バスの一番後ろの端っこに座り
私を横に座らせるか父の膝に乗せて バスが揺れるたびに
私を大袈裟に持ち上げて 大喜びさせてくれたのでした
子供には 使い切れないほどのおこずかいや人が持ってないおもちゃよりも
そんな些細なことの方が ずっと嬉しい事だったのかもしれません
そういえば今の母から聞いた話ですが 父がお見合いする筈の相手は
本当は今の母ではなかったそうです
じゃぁ何故今の母と結婚したのか その経緯を聞いてみると
母はこう言いました
『 お父さんがお見合いをする相手は 昔で言うところの大地主の娘さんで
その人とは 従姉妹どうしで年も近くとても仲が良かったのよ
ところがお見合いをする間近になった時 その従姉妹から
本当は好きな人が居るから お見合いはしたくない 』とそう聞かされたそうです
それで母は あなたがお見合いする気がないなら私がするからと言って
父とお見合いをしてその後 結婚したそうです
実はこの話はちょっと曰くつきで 今の母との結婚を祖母は快く思ってないようでした
その理由は (祖母が思うには)父は 財産のある跡取り
しかし母は(東京なのに)田舎の農家の7人兄妹の三番目で
昔だったら 食いぶち減らしで奉公に出されるような家柄の娘
祖母からみたら今の母は父とはつり合わない
跡取りのまだ若い男性とのお見合いは 母にとっては玉の輿
祖母はきっとそう思っていたのでしょう
そのせいか 私が知ってる限り 勿論どの家でもあることですが
嫁姑の仲は かなりよくありませんでした
そして今の母は私に よく祖母のことを悪く言うのでした
確かに 祖母は相当きつかったけれど
昔の女ですし 私から見たら今の母だってかなりのものです
正直 どっちもどっち・・・って気がしますが・・・
でも 今の母のいう事もまんざらでもないと思えるのは
私も 決して祖母の事が好きではなかったのです
普通なら 祖父母と同居しているんですし父が離婚しても
祖母が私の面倒を見ても不思議ではないのに
私の記憶の中には残念なことに 祖母に可愛がってもらった記憶は
父よりも更に残っていません
家族の中で 私の世話を一番してくれたのは
もしかしたら祖父だったのかもしれません
勿論 昔の人ですからたとえ孫とは言え悪い時は容赦ないですが
小学生の頃 祖父のそばで宿題をやっていると祖父は私に
頼みもしないのに自分の指も貸してくれて 算数の宿題を良く手伝ってくれました
こんな家族の中で私は さらにオテンバぶりを発揮して大きくなりました
私が父の若い頃の事を聞けるような年になった頃 父は再婚していたし
思春期になった頃は ただ厳しいだけの父を好きになれなくて
父とあまり話をすることもなかったので 私を生んだ母のことや
父の若い頃の話を聞ける人がいませんでした
だから 結婚当初の両親のことや父や母の若い頃の話
そして私が一番知りたい両親の離婚の理由は
それから更にずっと大人になって 聞けることになったのですが
残念ながら 父についてあまりいい話を聞いたことがありません
でも父のことを話してくれる人達は 父方の伯父や伯母ではなく
今時々会う 母方の叔母たちの話なので多少の色づけはあるかもしれません
(また いずれ更新します)
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