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部屋を探すことの難しさ

最近 本気で引越しを考えているのですが 最初に引っ越そうと考えたのは
3月の初め 前にもお話したと思いますけど 3月7日突然の様に2番目の彼女が
お店の近くに引っ越したので 最初の彼女と
私たちも引っ越そうか・・・ そんな話が持ち上がった2・3日あと
そう あの東北大震災が起きたのです
そのせいで 引越しの話などあっという間にどこかに吹っ飛んでしまって
その後は 毎日 揺れる家でオロオロする日々が続きました

それから2週間ほどした時 備え付けの照明が壊れたみたいなので
オーナーに電話したところ 『 そろそろ更新ですね 』とそんな話が出て
引っ越したいとは思いつつまだ行き先が決ってない状態なので
仕方なく更新をしました
そん訳で 更新手数料も払ったし 慌てて探してもねぇ・・とそんな訳で
引越しの話が宙に浮いてしまって 本気で探してなかったのですが
私のぷ~の生活も長くなり 仕事を探していても部屋も気になるし
そうこう散々迷いながら結局の所
やはり早く部屋を探さないと仕事も見つけられない!
そう思って日々ネットの前に座りっぱなしで 目が疲れて視力がぼやけるほど
ずっと探していても なかなかいい物件はなく しかも高~い

そうこうしているうちに数ヶ月経ち もういい加減に本気で探さないと
また来月もこの部屋のもっと高~い家賃を払うようになる
そう思って また日々一生懸命にあちこちのサイトで探したり
家からすぐの駅前の不動産屋さんを何軒か回ったり
同じ路線の次の駅に行って またもや不動産屋さんに行ったりして
あくまでも〝希望条件〟を提示して探してもらったんですけど
なかなか「 これ! 」という物件がありません
勿論 私の希望が多少高望みなのはよく分っているのですが
それにしても 条件に合う部屋が見つからないのですよぉ~
まず一番に感じる事は 収納がなさ過ぎ
うちは羽毛布団じゃないから 夏になったら夏掛けかタオルケット
じゃぁ 冬の布団と毛布は一体どこへしまえばいいのかな?
わずかなクローゼットさえないんじゃ 服はぜ~んぶ衣装箱にしまうの?

そもそも3LDKなんて部屋は滅多になく あってもやはり高い!
じゃ2LDKで・・・と思えば 今度は今ある家具を2~4コほど
処分しなければならないのですよ!
そうするとその中味は? それも処分?!
勿論 多少のものは思い切って捨てなければならないのは分ります
でも ここに来る時だって収納がない為に軽トラック1杯分の荷物を処分したんです
それなのにまた お金を払って 処分しなければならないんです
しかもその処分をするかも?の中で 一番大きくて場所を取りそうな家具は
亡くなった彼と一番最初に買った家具なんです
今の私には その家具を捨てる勇気はありません

でね とりあえず 「これは?」という広さの物件があったので
実際に見に行ったんですけど 裏は某銀行の社屋を建ててる最中で 
今は穴掘り真っ只中! 向こう1年半は音がかなりうるさいとか・・・・ 
しかも 収納があまりにも無さすぎ更にその古さと言ったらたいしたもので
どうやら築年数は 私より10才ほど若い位の古さなんです
だからそのオーナーさんがあの地震の後 建物の強度が危ないので
立て直す為 定借家付きの賃貸にすると・・・
つまり2年後にはまた越さなければならないんです
駅から2分で広さは75㎡ 家賃は破格と言う程では無いけどまぁ安い部類
でも折角探し当てたのに2年後にはまた引越しです
一緒に行った不動産屋さんは 
『 今の家賃よりやすくなるんだから それでまた引っ越せば
いいんじゃないですか~ お得ですよ 』って ・・・
だけど私にしたらまた引越すんじゃ 高額の引越し代と探す大変さを考えると
次の引越しの為にまたお金を使うんじゃ いまの家賃と変らないし
今の部屋探しの大変さの意味がない
で結論は  ダメだこりゃ・・・

さて2軒目は・・・
その部屋は駅から5分 2LDKだけど広さは申し分ない しかもまだ築浅
これならまぁいいだろうと思って 実際に見に行く前に最初の彼女に
その家のチラシを見せてみた
私が唯一心配だったのは その近いって駅が 今の所よりさらに3駅先
いま彼女が働いている所から帰るのは 少々大変でしかも回りは住宅街
住宅街って一見静かでいいようだけど うちの彼女の様に毎日終電で帰る人にとって
そういう環境は ちょっと帰りが恐い
今の所の様に 終電でも沢山の人が降りる駅ならさほど心配は無いけど
降りる人たちがパラパラだと 駅から家まで女の子が一人で歩いて帰ってくるって
親にしたら いくら19やハタチの子じゃないにしたってやはり心配
まぁ とりあえず彼女に見せてみようってそう思って もう一度よくチラシを見ると
チラシの端っこの方にはこう書いてあった

契約時の必要書類: 印鑑・印鑑証明・住民票・運転免許証
             収入証明・健康保険証

これだけ揃えて持って来いって 入居者を信用しないみたいで
かなりのオーナーだなって思ったんだけど もっとカチンときたのは
備考欄に 石油ストーブ・楽器・バイク・ペット不可この辺は分らないでも無いけど 
一番最初に書いてあったのが 水商売不可
ええぇ~~いったどういう偏見を持っているんだ~ !
まぁ 平たく考えたら 夜勤めている人が深夜に帰って来て
まるで昼間の様に 大きなボリュームでTVをつけたり音楽をかけたり
さらに掃除機や洗濯機まで回されたんでは 他のは部屋の人に迷惑だし
隣近所の人から あの部屋はうるさいって苦情が来ないとも限らない
そりゃ分りますよ でもね そういう事をする人はそもそも水商売とかじゃなくて
ふつーに一般常識がない人なんじゃないかって事!
私が言いたいのはそこよ
だってさあ 昼間働いてる人だって夜 友達と食事したり飲んだり遊んだりして
深夜に帰る事だってあるでしょ それだって人によっては毎日かもしれないし
決してそういう人が 静か~に帰ってくるかはわからないし
昼間働いている人は普通に夜帰って来て洗濯するし 掃除機も掛ける
たまには友達を呼んで 部屋で遅くまで大騒ぎしないとも限らない
周りの人に騒音で迷惑をかけるかもしれない事は ふつーの人だって同じ
なのに何故 水商売不可って きちんと書き記さなければならないの?!

どーしても納得がいかないんだけど !!


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自叙伝~父

私の父は 昭和8年生まれで 男・女・女・男の4人兄妹の末っ子です 

父は 次男だというのにちょっとした事情から父が跡を継ぐことになったらしいのです
私が知っている限りの 〝ちょっとした事情〟とは
長男(伯父さん)は小児麻痺なのか理由は分らないのですが
私が見た事のある伯父さんは 足が多少不自由で
両方の足が 膝のところで外側に曲がっていました
それでも 杖を必要とするわけでもなく多少は不自由そうでしたが
一人でちゃんと歩いていて 他にはどこも異常はなかったみたいですが 
何しろ祖父母がまだまだ元気だった昔のことです  
本家の跡取りが〝カタワ〟では両親(祖父母)はみっともないと言ったとかで
そんな訳で伯父さんは 本来跡継ぎとしての相応の財産を貰って家を出て
別の土地に家を建てて 商売を始めて暮らしていたようでした
私が遊びに行った事がある伯父の家は 確か二子玉川で
私と同じ年と一つ違いの男の子が二人いました

父方の二人の伯母のうち一人は蒲田に もう一人は
たぶん 父が相続する時に分けてもらったのでしょう 
私が住んでいた家から数軒後ろの方に 家を建ててもらって住んでいました
蒲田に住む伯母は 三番目(父のすぐ上の姉)でしたので
父とは一番仲が良かったみたいで 私の両親が離婚してから
どれくらい伯母の所に居たのか 私は覚えて無いのですが
父が再婚するまでの一時の間 その伯母に預けられていました
ただ もし両親が離婚届を出す前から別居していたとしても
私のすぐ下の弟は4つ違いなので たぶん私が叔母の所に居たのは
長くても一年か ホンの数ヶ月だったのだと思います

これはずいぶん後から聞いた話ですが
父が慌てて再婚しようと思ったのは 父が時々お土産を持って
私に会いに来ると 私は従兄妹たちと同じ様に「おじさ~ん」といって 
お土産を持って会いに来る父に駆け寄ったそうです
両親が離婚したのは 私が三歳になる一ヶ月前でしたし
もしそれ以前から 伯母に預けられていたとしたら
まだ小さい私ですから 父から離れて伯母の所に住んでいれば 
父のことを忘れてか 従兄妹たちと同じ様に父のことを
「おじさん」と呼んでも仕方なかったかも知れません
でも 父にとってはその事が余程ショックだったらしく
早く再婚して私を引き取り 一緒に暮らしたいとそう思ったそうです
さらに父が慌てて再婚せざるを得なかった理由は
私が生まれた時 父は23でしたから 離婚した年でも
まだまだ充分若いですし何しろ跡取りです
それでも 私という連れ子が居る訳ですから両親(祖父母)にしたら
その後 ずっと独り者という訳にはいかなかったでしょうしね
父が 早く私を引き取りたいと思った気持は嬉しいですが
それよりも両親(祖父母)がうるさく言ったのかも知れません

ところが 私がどれだけ父から可愛がられたかというと
残念ながら私には さほどその記憶はないのです
私の中にわずかに残っている記憶といえば 小さい頃から近所の子が
持ってないような大そうなおもちゃを持っていた・・・そんな程度です
父には 親から引き継いだ財産があったでしょうし
家の敷地には 父がやっていた大きな印刷工場がありましたし
子供に買ってあげるおもちゃなど たいした金額ではなかったでしょう 
お祭りの時などは 使い切れないほどのおこずかいをくれたり
胸のところの糸を引っ張ると おしゃべりする人形を買ってくれたり
女の子だというのに 欲しいといえばローラースケートを買ってくれたり・・・
とにかく 物には不自由しなかったけれど
でも 私はそれほど嬉しくもなかった・・・
父には申し訳無いけど そんな記憶しか有りません
ただ いまでも覚えている父との唯一楽しかったと思える想い出は
幾つぐらいのころだったのか 自分では良く覚えて無いのですが
その頃 私が大好きだったぺこちゃんの目がくるくる動く
大きな箱のミルキーを買ってくれて バスの一番後ろの端っこに座り 
私を横に座らせるか父の膝に乗せて バスが揺れるたびに 
私を大袈裟に持ち上げて 大喜びさせてくれたのでした
子供には 使い切れないほどのおこずかいや人が持ってないおもちゃよりも
そんな些細なことの方が ずっと嬉しい事だったのかもしれません


そういえば今の母から聞いた話ですが 父がお見合いする筈の相手は
本当は今の母ではなかったそうです
じゃぁ何故今の母と結婚したのか その経緯を聞いてみると
母はこう言いました

『 お父さんがお見合いをする相手は 昔で言うところの大地主の娘さんで
その人とは 従姉妹どうしで年も近くとても仲が良かったのよ
ところがお見合いをする間近になった時 その従姉妹から
本当は好きな人が居るから お見合いはしたくない 』とそう聞かされたそうです
それで母は あなたがお見合いする気がないなら私がするからと言って
父とお見合いをしてその後 結婚したそうです

実はこの話はちょっと曰くつきで 今の母との結婚を祖母は快く思ってないようでした
その理由は (祖母が思うには)父は 財産のある跡取り 
しかし母は(東京なのに)田舎の農家の7人兄妹の三番目で
昔だったら 食いぶち減らしで奉公に出されるような家柄の娘
祖母からみたら今の母は父とはつり合わない 
跡取りのまだ若い男性とのお見合いは 母にとっては玉の輿
祖母はきっとそう思っていたのでしょう
そのせいか 私が知ってる限り 勿論どの家でもあることですが
嫁姑の仲は かなりよくありませんでした 
そして今の母は私に よく祖母のことを悪く言うのでした
確かに 祖母は相当きつかったけれど 
昔の女ですし 私から見たら今の母だってかなりのものです
正直 どっちもどっち・・・って気がしますが・・・

でも 今の母のいう事もまんざらでもないと思えるのは
私も 決して祖母の事が好きではなかったのです
普通なら 祖父母と同居しているんですし父が離婚しても 
祖母が私の面倒を見ても不思議ではないのに 
私の記憶の中には残念なことに 祖母に可愛がってもらった記憶は
父よりも更に残っていません
家族の中で 私の世話を一番してくれたのは 
もしかしたら祖父だったのかもしれません
勿論 昔の人ですからたとえ孫とは言え悪い時は容赦ないですが
小学生の頃 祖父のそばで宿題をやっていると祖父は私に
頼みもしないのに自分の指も貸してくれて 算数の宿題を良く手伝ってくれました


こんな家族の中で私は さらにオテンバぶりを発揮して大きくなりました


私が父の若い頃の事を聞けるような年になった頃 父は再婚していたし
思春期になった頃は ただ厳しいだけの父を好きになれなくて
父とあまり話をすることもなかったので 私を生んだ母のことや
父の若い頃の話を聞ける人がいませんでした
だから 結婚当初の両親のことや父や母の若い頃の話
そして私が一番知りたい両親の離婚の理由は
それから更にずっと大人になって 聞けることになったのですが
残念ながら 父についてあまりいい話を聞いたことがありません
でも父のことを話してくれる人達は 父方の伯父や伯母ではなく
今時々会う 母方の叔母たちの話なので多少の色づけはあるかもしれません

Bebe


(また いずれ更新します)

 

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叔母の介護生活

私には たまに会って楽しく飲む二人の叔母がいます

以前は年に一度 母の命日に二人の叔母と三人でお墓参りをして 
そのあと恒例の 〝供養&法事飲み会〟 をするんですが
その飲み会は夕方4時ごろから夜遅く 終電時間まで続きます
ところが最近では 一番下の叔母が時々急にメールをしてきて

『 来週の水曜日 空いてますか~? 』 と 

私と上の叔母に 突然思い立ったようにメールが来るんです
勿論 どんな用事だかは想像がつくので OKの返事をする時は
遅くまで飲むことを覚悟するんですが
いつも忙しく動いてる叔母が 珍しいなぁ~って思ってたんですけど
時々会いたくなる理由がようやく分ったのです

お墓参り以外にもここ数年は 結構マメに会うようになったのですが
今年の4月以降は 月に一度か2ヶ月に一度くらいメールが来ます
その理由とは・・・

その叔母は 40代の半ばで御主人を突然亡くしたんですが
それから10年くらい経ったころだったでしょうか 
私の所から 電車で20~30分くらいの所に
以前から飲み仲間の男性と 一緒に住むようになりました
そして今年の4月に「65歳を過ぎると家賃が半分になる住宅がある」と
そういって 今までよりももっと西の方へ引っ越していきました
相変らず活動的な叔母さんだなぁ~と感心していた矢先 
ちょっと心配なメールが来たのです

『 引越しの荷物はまだ殆ど片付いてません
 ボツボツ片付けようと思っているんだけど・・』とその後に
『 あの人の様子が変なのよね・・・ 急に変わっちゃったのよ!』と

あの人とは一緒に住んでる人のことですが 私にはその
急に変わったと言う内容の察しがついたので すぐにOKの返事をしました
それから数日して 三人でいつもの様に飲み会が始まったのですが
私が気になったのは その人の様子でした
叔母に聞いてみると私が想像していた通りで
その人は 去年辺りに仕事を辞めたことと引越しをしたことが切っ掛けで
認知症が現れたらしく かなり重度の様で介護5の判定だそうです
それからというもの 言葉は出ないし一人で起き上がることもできず
勿論 食事もできないそうで 私にはええっーとしか言い様がないくらいでした 
その様子を 案外客観的に話す叔母をみていて ふとおもいました
決して嫌な顔一つせず その人の世話も苦ではないと言ってるけれど
叔母は両親の介護もしないで過ぎたし ご主人だってあっという間でしたし
それなのになんで今更 別の所には離婚同然の奥さんがいて
籍も入ってない人の面倒を あの年齢で突然みる様な事になって
しかも どこまで回復するのかわからないような人と なんで・・・って
人の人生って わからないなぁ・・・ と やけに深刻になってしまいました
ひどい言い方かもしれないけれど 正直 そう思ってしまいます
だって私から見た伯母は 私の目標になるような 
そんな存在の人でしたから 私には かなりの衝撃なのです

叔母は 世話をするのいやじゃないとはいってますが
やはりストレスが溜まるのでしょうね
それからというもの その人が泊りで介護センターに行った三日間は
のんびりとしたいのでしょう すぐにもう一人の叔母と私にメールが来ます
そして初日に普段できない用事を片付け 二日目は私達と飲み会
三日目には その人のお迎えの準備をするみたいです
どうかすると二日続けて私に 『空いてる?』とメールが来ることもあります

先日 叔母と二人であった時 叔母がこんな事を話してました
ご主人が死んだ後 買物の帰りにふと目に止まったペットショップの猫を
突然思い立ったように 飼うようになったといってました
その気持 解るような気がして 私は苦笑いをしました
それまで私が知っている叔母は 何でも活動的にやる人だし
他人にも身内にも とっても厳しい人で どうかすると冷たい人だなって
そう思うくらいの人で だから一人でだってどこへでも行くし 
しかもご主人が亡くなってすぐに 長年住んでいた家を人に貸し 
一人息子さんと別々に暮らすようになり
更に ご主人の生命保険とご主人の父親の遺産相続分を頭金に
20年のローンを組んで 4部屋のアパートを建てたし
本当にすごい人だなって思ってたんですけど やはり急に一人になると
あの叔母でも 淋しさもあるんだろうな・・・って 感じました
その後 飲み友達だったその人と一緒に住むようになった理由も
叔母はぽつんと語ってました

『 息子と別々に住んでも まだ若かったせいか淋しいとは思わなかった
一人息子といつまでも一緒にいて 私が重荷になりたくないし
私も一人で気ままに暮らしたい ・・・ そう思った
とりあえず わずかながら家の賃料も入るし 夫の遺族年金もあるし
だから 贅沢はできないけど生活には困らないし
だけど急に 猫を飼ってみたくなった
そして50も半ばになった頃 ふと 
これから先もずっと一人でいるのかと思うと なんだかふっと心細くなって
年をとって ずっと一人も淋しいくて不安かな・・・って 考えてそれで
お互いに自分の生活費はちゃんとあって 相手に負担はかけないから
だからあの人と一緒に住もうと思った 』 と
なかなか叔母らしい 賢い選択だなと思いました

突然 人と一緒に住もうと思う淋しさとか不安とか そういうものは
今の私と状況が重なるだけに 本当に身につまされます


去年の私の誕生日を そろそろ迎える頃 
娘達二人が 誕生日プレゼントに何を選ぼうかと相談しているのを
ふと聞いてしまって驚いたんですが それは今でもあるのでしょうか
プレゼントはなんと〝お見合いさくらんぼツアー〟だったのです!
そんな話題が出ている時は 私も必死に
『 まだ夫が亡くなったばかりなのに 次の人のことなんか
考える余裕ないし 当分そんなつもりもないから !
だからそんなプレゼントは要らないよ! 』って
かなり強気で言ったけど 勿論今でもそう思うけど
叔母の話を聞いてからは 今は無理だけど 
この先 私もそう考えるようになるのだろうかと ふと思うのです


そんな叔母の一面を知るまでは 私から見た伯母は
姪の私にも容赦無しの かなり冷たくてキツイ さっぱりしている人で
だから叔母がまさか猫を飼ったり 男性と一緒に住むようになるなんて
私にはとても考えられなかったんです
だから余計に 今の叔母の状況を思うと 人ごとじゃなくて
考えさせられてしまいます
息子さんとも離れて暮らし 一人で気ままにのんびりと
活動的な老後を過ごすのだろうと そう思っていたのに
介護の事が不運とか苦労とかは言わないけれど 正直 できれば避けたい
自分の親なら 報恩感謝だと思ってできるけど やはり ねぇ・・・
勿論 一緒に住むくらいだから 叔母にとっては
友達以上の気持ちがあってのことでしょうから 苦ではないんでしょうし
もしかしたら反対に自分が 介護を必要とする側になるかもしれないし
でも そのどちらにしても やはり複雑

もしも自分が要介護になるか 或いは私の身に叔母の様な事が起きたら・・・
そう思うと なが~い目で見たらそのうち少しは考えてもいいと
すこ~しだけ思い始めていた あのさくらんぼツアーも 
当分は 遠慮しておこう!

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人の呼び名

私には 3人の子供がいますが子供に兄妹ができてから
それぞれ兄妹同士 お互いを呼ぶ際に 付けないというか
言わせない 呼び方が有ります
それは 例えば長女のことを下の弟や妹が呼ぶ時
我が家では 「お姉ちゃん」とは呼びません
ですから 次女のことをその下の弟が呼ぶときも同じです
それぞれが お互いを名前で呼んでいますので
私も 長女を本人や他の兄弟の前で「おねえちゃん」と呼ばないし
「いもうと」「おとうと」ともいいません
それでも やはり兄妹ですから上の者を敬う?という事で
自然と 上の姉を弟や妹が呼ぶときは
「○○ちゃん」と名前に「ちゃん」をつけて呼びますが 
長女は下の兄妹に対しては 「○○」と名前で呼び 
「ちゃん」や「くん」は付けません
ささやかながらの格付けの表れなのでしょうかね
当然 私も一人一人を名前で呼びます

そして 私が子供たちと父親や母親(自分自身)の話をする時は
例えば 子供が何かお願い事が有る時
私が 子供に「ママに言わないで パパにお願いしなさい」 といい
私対子供の場合は 「パパ」だったり「ママ」だったりしますが
私と主人はお互いを呼ぶ時は やはりそれぞれを名前で呼び 
お互いのことを「パパ」「ママ」とは決して呼びません
先の 「ママに言わないで パパに・・」という時の「パパ」の前には
「(あなたの)パパに・・・」という言葉が省略されているだけで
「お姉ちゃん」も同様 父親や母親を呼ぶ時の「パパ」「ママ」は
あくまでも(呼称)代名詞であり その人自身の名前ではないからです
これは 私自身のささやかな抵抗です

「お姉ちゃん」と呼ばせない理由は・・・
私には 弟が二人の三人兄妹の長女です
ですから 妹の経験がないので得?をしたことがないかわりに
私に 4つ違いの弟が出来てからは何かと両親に
「お姉ちゃんなんだから」といわれて 非常に窮屈な思いをしたからです
しかも両親は 弟に「お姉ちゃんのいう事を聞きなさい」なんてことは
一度も言わなかったのです
それまでは私が「天下一」だった?のに 弟ができた途端に
なにかと「おねえちゃん」をつけられて 我慢をさせられることが多くなりました
「おねえちゃんなんだから 我慢しなさい」ってね
そういわれた私が我慢することによって 弟は非常に有利になる訳で
更に もう少し大きくなると今度は 「女の子なんだから」などと
何かにつけて 迷惑な代名詞を付けられて我慢の理由にされました
私にとっては まったくなんて理不尽な言われ方だ! と
ずっと小さい時から納得がいかなかったし
弟ができても 「おねえちゃん」は一つもいい事がない!
ずっとそう思ってました
だから子供が生まれてからは 私と同じ様に兄弟がいることで
窮屈な思いだけは させてはいけないという一心で
親になってから 自分の両親に対するささやかな抵抗を示したのでした

人によっては 小さいながら「おねえちゃん」「おにいちゃん」と
そう呼ぶことによって お互いがそれぞれに自分の立場を自覚すると
そういった人も居ますが 私がそう呼ばせなくても子供たちは
それぞれをちゃんと「姉」「弟」だと思ってますし
お互いをしっかり思い合っていますから 
どうやら呼び名には あまり関係ないように思います
同じ様にささやかな抵抗のその2は 
子供ができると当たり前の様に 夫婦がお互いを  
「パパ」や「おとうさん」 「ママ」や「おかあさん」と呼びますよね
その呼び方が私は許せません
屁理屈かもしれませんが 私は 両親から貰った名前があります
たとえ 子供が生まれて母親になっても 私の名前が
変る訳ではありません
殆どの人にしたら そんなことどうでもいいことなんでしょうけど
私は 嫌なのです
夫に面と向って「ママ」と呼ばれたくないし
夫のことを 「パパ」とは呼びたくありません
私の思いは 〝あなたは子供たちの父親ですが 私のでもあります〟
当然 〝私は子供たちのであり あなたのです〟 と・・・
ところがドラマとか見ていると やはり「おとうさん」「おかあさん」と
そう呼んでますね
ってことは 世間一般の家庭では そう呼んでいるのでしょうか?

そういえば ちょっと話がそれますが人の呼び名で
親戚の伯(叔)父・伯(叔)母を呼ぶ時は なんて呼んでますか?

私は 小さい時からだれが呼ぶとはなしにいつのまにか
叔父や叔母を呼ぶ時 うえに必ず 〝地名〟が付きました
叔父さんは父方にも母方にもいますよね
普通に 「伯父さんがね」って言われても誰の事だか分らないですよね
それで 「二子(多摩川)の伯父さん」とか「練馬の伯母さん」になります
さらに うちの近くに住む人たちには同じ地名は付けられませんから
今度は 上に屋号など仕事が付いたりしましたね
例えば 同じ市内に住んでいる叔父・叔母には
「お米屋の伯父さん」だったり「魚屋の伯母さん」だったりしました
そう考えると 人の呼び方って面白いですね
ところが面白いことに 母方の二番目の叔母さんは 
今は別の所に住んでいるのに 以前住んでいた所の地名が付いてます
おかしな話ですね
さて少し複雑?な呼び方なんですが 私の子供たちには
「おじいちゃん」と「おばあちゃん」が 沢山います
というのも ご存知の様に私は離婚をしています
さらに私の両親も離婚をしていますから 子供たちにとっては
おじいちゃん・おばあちゃんが普通の人より多いんですねぇ
じゃぁ 一体どうやってそれぞれを呼んでいるのかと言うと
子供たちの実父側のおじいちゃん・おばあちゃんは
「じいちゃん」「ばあちゃん」と呼びます
この呼び方は 祖父母自身がそう呼ばせてます
では 亡き夫のお母さんのことはなんて呼んでいるかというと
地名が付くどころか 「おばあちゃん」とさえ呼ばず
「○○ちゃん(亡き夫の呼び名)のお母さん」と呼んでます
この呼び方は私自身もそう呼んでいるんです
それには ちょっと複雑な事情があるからなんですが・・・
さて じゃぁ私の母親はなんて呼んでいるのかというと
これはいたって簡単 叔父や叔母と同様 上に地名が付いて
○○のおばあちゃんとなってます

このように 人の呼び名ってその家々や住む場所によって
呼び方が違ったりするんでしょうかね

さてさて ここまで書いていてふと思ったのですが
じゃぁ 私は孫達になんて呼ばれるのだろうと・・・
やはり おばあちゃんの上に地名がついて
「○○のおばあちゃん」と呼ばれんでしょうかねぇ~ 
とまで考えて 絶対にいやだ~~! と思いました
たとえ幾つになっても絶対に私のことを「おばあちゃん」なんて
呼ばせないぞ~!とそう思い
いまから自分の呼び名を考えておこうと ふと思った次の瞬間
あっ そうだ! 
「当分おばあちゃんにはなれそうもないからね」
「孫には期待しないでね」って
子供たちからそういわれているんだった!
しかも最初の彼女は
「私 絶対に子供は産まないから 私には期待しても無理だよ」と・・・

余計な心配することないか・・・ 苦笑


 

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